ストーリー
- 2006年7月16日
- 渋谷club asiaでの『PREMIUM BATLLE LIVE』を経て、エルドラドが本格旗揚げ。後楽園ホールを舞台に『CREATION OF ElDorado』を開催した。KAGETORA、バラモン兄弟、卍丸らが台頭する中、メインイベントでは、近藤修司、大鷲透、“brother”YASSHI、高木“JET”省吾組が貫禄の勝利。また、試合後、brotherが悪冠一色再結成を呼びかけるも、菅原拓也が同調せず態度を保留した。
- 2006年5月17日
- 渋谷の人気クラブ、club asiaで『PREMIUM BATLLE LIVE vol.0』と題し、実験的な興行を実施。また、大会のオープニングで石森太二が、突然のエルドラド退団を発表。今後、石森はNOAHレギュラー参戦を目指すべくフリーとして活動を行う。それに対して近藤は「最後に一夜限り組もう」とタッグ結成を呼びかけ、近藤・石森・華井組vs景虎・佐藤兄弟組というカードが組まれた。他カードもミラニートvs大鷲が組まれるなど興行名が表すように珍しいカードが実現した。
- 2006年4月27日
- ElDoradoプレ旗揚げ戦となる『BREAK THE DOOR OPEN』が新宿FACEで行われ、満員となる485人の観客を集めた。メイン終了後に元悪冠一色の近藤修司、“brother”YASSHI、大鷲透、高木省吾、菅原拓也の5人が約1年半ぶりにリング上で集結。「これから出来の悪いカス野郎の後輩たちとやっていくのが楽しみだ。オレらと一緒にやっていきたいヤツも、このリングを一から作っていこう」と締めた。
- 2006年2月23日
- 渋谷のclub asiaで記者会見を行い、dragondoorの新プロジェクト『プロレスリングElDorado〜NEXT door PROJECT〜』を発表。今後は団体化を実現させ、選手はElDorado所属とする。名前の由来は“プロレス界の黄金郷を目指す”というもの。ロゴマークはライブドアの石川秀一デザイナーが制作。特色に染まらない未知の可能性を秘めたElDoradoのロゴは、特定の色を持たず常に変化を続けていくという。
- 2006年2月7日
- 後楽園ホール大会『RETURN OF THE HEXAGON〜T2Pワンナイトスタンド』を開催。六角形リングを復活させ、ミラノコレクションA.T.が一夜限りの凱旋マッチを行う。試合後、近藤修司らが浅井校長離れを示唆、独自路線を目指し活動を続ける。また、この日、ライブドア小島克典スポーツマネジャーがリング上より挨拶。ライブドア・ショックにより、ドラゴンドアへの影響を心配するファンへ提携継続の挨拶を行う。一方、川畑代表は『dragondoor』の名称変更を考えていることをマスコミ陣に明かした。
- 2005年11月24日
- 後楽園ホール大会『Los conquistadores 2』を開催。メインイベントは世界jrのタイトルを懸けて、近藤修司と石森太ニが激突。近藤が圧倒的な強さで勝利を飾り、石森は出直しを余儀なくされる。また、この日、川田利明がdragondoor初参戦を果たした。
- 2005年9月9日
- ドラゴンドア旗揚げ第2弾興行『Los Conquistadores』後楽園大会を開催。メインイベントは近藤修司、“brother"YASSHI、菅原拓也 vs 日高郁人、藤田ミノル、石森太ニの一戦。石森組が近藤組へのリベンジを果たすも、地力勝利を飾ることができない石森に対し、ファンは近藤を支持する結果に。
- 2005年7月19日
- 後楽園ホールにてdragondoor旗揚げ戦を開催。メインイベントは変則イリミネーションマッチ・石森太二、飯伏幸太(DDT)、リトルドラゴン、ミラニートコレクションa.t.vs近藤修司、“brother”YASSHI、菅原拓也の一戦。近藤組が勝利を飾った。
- 2005年7月8日
- ファイティング・カフェ・コロッセオにおいて旗揚げ戦全対戦カード発表の記者会見を実施。元悪冠一色の5人が久々に集合、一枚の写真に納まる。また、この日も"brother"YASSHIが会見中に暴言。ライブドア出沢剛副社長に悪態をつき、同社社員の携帯電話を破壊する一幕も。同日、ライブドアモバイル内に、dragondoorのオフィシャル携帯サイトが開設される。
- 2005年6月16日
- dragondoor、ライブドアとの提携を発表。六本木ヒルズ38Fにあるライブドア本社にて記者会見を実施。会見には30社近いマスコミが詰め掛ける。また、会見には出席予定のなかった"brother"YASSHIが乱入。会見場で暴れたことで、ライブドア小島マネージャと口論となる。同日ライブドアスポーツサイト内にdragondoorのオフィシャルサイトが開設。
- 2005年4月27日
- dragondoorプロジェクト(d2p)記者会見を実施。元闘龍門ジャパンの川畑氏が、闘龍門メキシコの窓口として設立した「有限会社闘龍門」を母体に、新イベント"dragondoor"開催を発表。会見には石森太二、近藤修司も同席。意気込みを語った。
- 2004年12月31日
- 悪冠一色を結成する近藤修司、大鷲透、"brother"YASSHI、高木省吾、菅原拓也が素行不良と職務怠慢により所属団体から解雇される。また、近藤修司は翌年1月に週刊ゴング紙面で悪冠一色解散を宣言。
- 2004年1月31日
- ドッティ修司、"brother"YASSHIらが、はぐれ軍団を経て悪冠一色を結成。後にドッティ修司はリングネームを本名の近藤修司に戻す。
- 2003年9月26日
- コンドッティ修司、"brother"YASSINIがドッティ修司、"brother"YASSHIとそれぞれ改名。
- 2003年8月30日
- コンドッティ修司、"brother"YASSINI、ベルリネッタ・ボクサーがイタリアンコネクションを脱退。
- 2003年1月27日
- 川畑憲昭がBATAやんに改名。
T2P(第8弾)解散興行『LA ULTIMA FUNCTION』後楽園ホール大会が開催され、日本逆上陸興行が終了した。 - 2003年1月23日
- JAPAN後楽園大会でイタリアン・コネクションが「日本人宣言」。
- 2003年1月19日
- 東京ドーム「WRESTLE-1」に「闘龍門MEXICO Presents」として、ミラノコレクションA.T.&YOSSINO&コンドッティ修司組 vs アンソニー・W・森&ヘンリー3世菅原&石森太二組戦が組まれるも、コンドッティが闘龍門X・石森に敗れ、T2P解散が決定的となった。
- 2003年1月12日
- 闘龍門JAPAN越谷大会にミラノコレクションA.T.とコンドッティ修司が現れ、U・ドラゴン校長にT2P解散見直しを直訴し「WRESTLE-1」への参戦が決定。
- 2002年12月26日
- 日本逆上陸第7弾興行『LA ULTIMA CAIDA』後楽園ホール大会開催(「JAPANvsT2P全面対抗戦)。しゃちほこマシーン壱号&弐号vs参号&四号による「敗者組覆面剥ぎマッチ」は壱号&弐号が勝利、参号&四号の正体はTORYUMON Xの佐藤秀&佐藤恵。また、ウルティモ・ドラゴンが復帰。T2P興行に初出場。メインではインターナショナル・ライトヘビー級戦で王者ミラノコレクションA.T.が防衛に失敗。JAPANとの対抗戦に敗れたT2Pの解散が決定した。
- 2002年12月7日
- 闘龍門MEXICO第23回自主興行で第6回ヤングドラゴン杯開催。コンドッティ修司を下したTORYUMON Xのエース石森太二が優勝。
- 2002年11月27日
- 闘龍門JAPAN後楽園大会UWA世界6人タッグ選手権試合王者チーム・ミラノコレクションA.T. &"brother"YASSINI &YOSSINO組が防衛に失敗。この結果を受け、12月25日JAPAN、26日T2Pの両後楽園大会で「JAPANvsT2P全面対抗戦Part.2」が決定した。
- 2002年9月8日
- 有明コロシアムでJAPAN vs T2P全面対抗戦『ABSOLUTAMENTE』開催。セミファイナルで行われたUWA世界6人タッグ選手権試合で、T2P代表チームとして出場したミラノコレクションA.T.&"brother"YASSINI &YOSSINO組戴冠。
- 2002年8月11日
- 日本逆上陸第5弾興行『LOS CONQUISTADORES 2』ディファ有明大会開催で、T2P新ユニット「ロイヤル・ブラザーズ」が誕生。メンバーはこの日に改名したフィリップ・J・福政、ヘンリー3世菅原(菅原拓也)。
- 2002年8月3日
- 闘龍門MEXICO第22回自主興行でミラノコレクションA.T.と大鷲透が「卒業マッチ」を行いT2Pを卒業。
- 2002年5月29日
- 日本逆上陸第4弾興行『LOS CONQUISTADORES』シリーズが開幕。菅原拓也、ベルリネッタ・ボクサーが日本デビュー。
- 2002年5月11日
- 闘龍門MEXICO第20回自主興行でしゃちほこマシーン参号&四号がデビュー。
- 2002年3月3日
- 『LOS CONQUISTADORES』ディファ有明大会において「T2P実力査定リーグ戦」決勝トーナメントが開催。ミラノコレクションA.T.優勝。初代インターナショナル・ライトヘビー級王者となる。闘龍門JAPANとの抗争の為、ミラノコレクションA.T.の呼びかけにより、「イタリアン・コネクション」を結成。STIVIE"brother"TSUJIMOTOが"brother"YASSINI、近藤修司がコンドッティ修司に改名。しゃちほこマシーンズ参号&四号が初登場。また、同日(現地時間)メキシコで行われたアレナ・アラゴン認定6人タッグ選手権に挑戦した菅原拓也(パートナーはMAZADA&リギラ)が初のタイトルを奪取。
- 2002年2月27日
- 日本逆上陸第3弾興行『LOS CONQUISTADORES』(「T2P実力査定リーグ戦」)シリーズ開幕。
- 2002年1月23日
- 日本逆上陸第2弾興行『DESEMBARCAMIENTO2』後楽園ホール大会開催。しゃちほこマシーン壱号&弐号が日本デビュー。ホルヘ・リベラ氏T2Pマット初登場。
- 2001年12月2日
- 闘龍門MEXICO第19回自主興行で大鷲透が第5回ヤングドラゴン杯優勝。菅原拓也&ベルリネッタ・ボクサー(対 しゃちほこマシーン壱号&弐号戦)、しゃちほこマシーン壱号&弐号がデビュー。
- 2001年11月16日
- 『DESEMBARCAMIENTO』大阪大会:梅田ステラホールで福政淳也、川畑憲昭が日本デビュー。
- 2001年11月13日
- 日本逆上陸第1弾興行『DESEMBARCAMIENTO』が後楽園ホールで開催。エースのミラノコレクションA.T.が日本デビュー。
- 2001年10月23日
- 闘龍門JAPAN新潟大会で大鷲透が日本デビュー。
- 2001年10月20日
- 闘龍門JAPAN滋賀大会でTARUシート、近藤修司、小川内潤が日本デビュー。STIVIE"brother"TSUJIMOTOがJAPANマット初登場。
- 2001年9月8日
- みちのくプロレス岩手大会でSTIVIE"brother"TSUJIMOTOが日本デビュー。
- 2001年5月23日
- 辻本恭史がSTIVIE"brother"TSUJIMOTOに改名。
- 2001年5月18日
- 近藤修司(対 小川内潤戦)、小川内潤(JUN:対 近藤修司戦)がデビュー。伊藤透が大鷲透に改名。
- 2000年12月9日
- 闘龍門MEXICO第16回自主興行でミラノコレクションA.T.が第4回ヤングドラゴン杯優勝。また、福政淳也(フィリップ・J・福政)がデビュー。
- 2000年12月8日
- 川畑憲昭(現・有限会社闘龍門取締役:対 ストーカー市川戦)デビュー。
- 2000年10月20日
- 闘龍門MEXICO第15回自主興行で辻本恭史(現・"brother"YASSHI:対 伊藤透戦)、初代TARUシート、デビュー。
- 2000年9月2日
- 闘龍門MEXICO第14回自主興行で伊藤透(現・大鷲透:対 吉野正人戦)、大柳二等兵(大柳錦也)デビュー。
- 2000年6月18日
- 照井章仁がミラノコレクションA.T.に改名。
- 2000年5月13日
- 闘龍門MEXICO第13回自主興行で照井章仁(現・ミラノコレクションA.T.)デビュー。対戦相手は神田裕之。
- 2000年1月16日
- 闘龍門JAPAN後楽園大会でウルティモ・ドラゴンが「闘龍門2000プロジェクト(T2P)」立ち上げを発表


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