
"小倉隆史"という名前がひとり歩きしていた
7月号「メディアの力」第1週/掲載日:2007年7月9日
――小倉さんは四日市中央工のサッカー部にいた時代から全国的なメディアに取り上げられてきました。当初は戸惑うことも多かったのでは?
「そうですね。冬の高校選手権で優勝したところで一気に注目度が上がって、いきなりクローズアップされましたから、当時はかなりビックリしたしたね。ああいうスポーツの大会でメディアの皆さんが何をするかというと、極端な言い方をすると、ヒーロー作りなんですよね。で、僕はそういう取り上げ方をされることは、正直いってとても苦手でしたね」
――"小倉隆史"という名前がひとり歩きした?
「ですね。すごく先に行っちゃってる感覚がありました。うかつに電車も乗れなかったですし、買い物に行って歩いていると、僕のあとを着いてくる人もいた(笑)。大会の優勝校と外国のチームで親善試合をすることがあったんですけど、そのときなんて、スタンドにいた100人くらいの女の子たちから"キャー"とか言われてました。ある日突然、別の人になってしまったというか、"オレは誰なんだ"って思うことが多かったです。それくらい、マスコミ、マスメディアというものには影響力がありますよね。ま、当時は、時代にも後押しされてた部分はあったとは思います。ちょうどJリーグがスタートする直前の準備期間で、"ドーハの悲劇"もあって、サッカー界への注目度が一気に盛り上がったタイミングでしたから。そのブームに乗っかっちゃった"期待の若手"が僕だったということだと思ってます」
――いきなり周囲の見る目が変わり、高校生の小倉さんは、悪ノリする部分なんてありませんでした?
「うーん、浮かれる部分はなかったですね。ただ、いま思うと、自意識過剰というか、人の視線を異常に気にしていたかもしれません。いつも見られている気がして、なるべく人目につかないようにしてました。ごくふつうに買い物していても、写真を求められたりしてましたから。そうすると、気持ちのなかで構えてしまうじゃないですか。だから、とても気を張っていて、いつも疲れてましたね」
――持ち上げられるだけでなく、批判されることもあったと思いますが、メディアでの取り上げられ方で、グサッとくるような経験は?
「あまりグサッていうのはなかったですね。僕の場合、プレーについて批判されることはあまり苦ではなかったですし。旧知のライターさんにいろいろ書かれたこともありましたが、そのなかには、ありがたい助言もあった。受け止め方の問題でしょうけど、少なくともショックを受けるような経験はなかったです。ただ、一度大きなケガをしたとき、メディアの人たちとのやり取りで少しナーバスになったことはありました。たとえば、リハビリ中に新聞記者さんたちに囲まれる。で、やっぱり彼らも記事を書く仕事をしてますから、"つらかった、苦しかった、でも頑張ってる"という記事を書きたかったんだと思います。でも、当時、僕の気持ちとしてはちょっとニュアンスが違っていた。"自分がピッチに戻りたいんだから、頑張るしかないでしょ"と。辛いとか、苦しいとか、自分のためにやっているんだから表に出す必要はないって思ってたんです。だから、記者の人たちとも、なるべくそういう話はしなかった。でも、結局、そういう記事が出ていて、"なんでだ"って思うことはありました」
――自分の言いたいことも、メディアというフィルターを通すと、違ったものになる。
「とくに記事の見出しとかは、ありますよね。オランダから日本へ復帰したときに、記者さんたちとカズさん(三浦知良/横浜FC)の話になって、僕としては、"若手FWの誰かがカズさんを超えるときが来るとすれば、そのとき、僕はそういう存在になりたい"という話したんです。すると、翌日の新聞の見出しでは"小倉、カズ越え宣言"になってるわけです。オレ、そんなこと言ったかな、と。ニュアンスがぜんぜん違っていてビックリしましたよ。そのギャップには、正直ナーバスになることがありました」
「そうですね。冬の高校選手権で優勝したところで一気に注目度が上がって、いきなりクローズアップされましたから、当時はかなりビックリしたしたね。ああいうスポーツの大会でメディアの皆さんが何をするかというと、極端な言い方をすると、ヒーロー作りなんですよね。で、僕はそういう取り上げ方をされることは、正直いってとても苦手でしたね」
――"小倉隆史"という名前がひとり歩きした?
「ですね。すごく先に行っちゃってる感覚がありました。うかつに電車も乗れなかったですし、買い物に行って歩いていると、僕のあとを着いてくる人もいた(笑)。大会の優勝校と外国のチームで親善試合をすることがあったんですけど、そのときなんて、スタンドにいた100人くらいの女の子たちから"キャー"とか言われてました。ある日突然、別の人になってしまったというか、"オレは誰なんだ"って思うことが多かったです。それくらい、マスコミ、マスメディアというものには影響力がありますよね。ま、当時は、時代にも後押しされてた部分はあったとは思います。ちょうどJリーグがスタートする直前の準備期間で、"ドーハの悲劇"もあって、サッカー界への注目度が一気に盛り上がったタイミングでしたから。そのブームに乗っかっちゃった"期待の若手"が僕だったということだと思ってます」
――いきなり周囲の見る目が変わり、高校生の小倉さんは、悪ノリする部分なんてありませんでした?
「うーん、浮かれる部分はなかったですね。ただ、いま思うと、自意識過剰というか、人の視線を異常に気にしていたかもしれません。いつも見られている気がして、なるべく人目につかないようにしてました。ごくふつうに買い物していても、写真を求められたりしてましたから。そうすると、気持ちのなかで構えてしまうじゃないですか。だから、とても気を張っていて、いつも疲れてましたね」
――持ち上げられるだけでなく、批判されることもあったと思いますが、メディアでの取り上げられ方で、グサッとくるような経験は?
「あまりグサッていうのはなかったですね。僕の場合、プレーについて批判されることはあまり苦ではなかったですし。旧知のライターさんにいろいろ書かれたこともありましたが、そのなかには、ありがたい助言もあった。受け止め方の問題でしょうけど、少なくともショックを受けるような経験はなかったです。ただ、一度大きなケガをしたとき、メディアの人たちとのやり取りで少しナーバスになったことはありました。たとえば、リハビリ中に新聞記者さんたちに囲まれる。で、やっぱり彼らも記事を書く仕事をしてますから、"つらかった、苦しかった、でも頑張ってる"という記事を書きたかったんだと思います。でも、当時、僕の気持ちとしてはちょっとニュアンスが違っていた。"自分がピッチに戻りたいんだから、頑張るしかないでしょ"と。辛いとか、苦しいとか、自分のためにやっているんだから表に出す必要はないって思ってたんです。だから、記者の人たちとも、なるべくそういう話はしなかった。でも、結局、そういう記事が出ていて、"なんでだ"って思うことはありました」
――自分の言いたいことも、メディアというフィルターを通すと、違ったものになる。
「とくに記事の見出しとかは、ありますよね。オランダから日本へ復帰したときに、記者さんたちとカズさん(三浦知良/横浜FC)の話になって、僕としては、"若手FWの誰かがカズさんを超えるときが来るとすれば、そのとき、僕はそういう存在になりたい"という話したんです。すると、翌日の新聞の見出しでは"小倉、カズ越え宣言"になってるわけです。オレ、そんなこと言ったかな、と。ニュアンスがぜんぜん違っていてビックリしましたよ。そのギャップには、正直ナーバスになることがありました」
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