
【座談会】ファインダー越しのスポーツ
8月号「カメラという職域」第3週/掲載日:2007年8月24日
■西山和明(にしやま・かずあき)
広告制作会社を経て、1984年からフリーのカメラマンに。広告及びポートレイト等の分野で活躍する一方、1986年からスポーツを撮り始め、文藝春秋社の“Sports Graphic Number”、光文社の“VS.(バーサス)”などスポーツ専門誌の専属カメラマンとしても活動。野球、サッカーなどを中心に、幅広いスポーツジャンルをカバーしている。
広告制作会社を経て、1984年からフリーのカメラマンに。広告及びポートレイト等の分野で活躍する一方、1986年からスポーツを撮り始め、文藝春秋社の“Sports Graphic Number”、光文社の“VS.(バーサス)”などスポーツ専門誌の専属カメラマンとしても活動。野球、サッカーなどを中心に、幅広いスポーツジャンルをカバーしている。
観客や記者などよりずっと間近で、現実に進行していくドラマの一瞬一瞬を、彼らはファインダー越しに切り取っていく。そこには、競技そのものへの情熱、あるいは被写体への思い入れが、おのずと投影されていく。勝者がいれば、敗者がいて、スターもいれば、裏方もいる。刻一刻とあらゆる出来事が群がり起こる現場に立ち合い、カメラマンという立場で接してきた人たち。彼らが目の当たりにしてきたスポーツとはいかなるものか。
70年代から世界のスポーツシーンを追いかけ、国内でスポーツフォトグラファーの第一人者である清水氏。スポーツ誌の専属カメラマンも経験してきた写真家・西山氏。サッカーを中心に活動する新進気鋭のカメラマン高須氏。いまも最前線で活躍する3人のプロフェッショナルが一堂に会し、スポーツグラフィックの現場と現在を語った。
――そもそも、プロのカメラマンになった経緯を聞かせてください。
清水: オレの場合は、スポーツを生で見たい、その現場にいたいというのが先で、じゃあどうしようかってところからスタートしてる。それはいまもずっと変わらないし、カメラマンを志したってことではなかった。
――清水さんは長いキャリアをお持ちですけど、最初に取材した大きなイベントは?
清水: 76年のモントリオール・オリンピック。当時は、日本人でフリーのスポーツカメラマンなんて、ほとんどいなかったけど。海外に取材に行くこと自体がたいへんだったからね。いまに比べるとハンディキャップは大きかった。だいたい、組織というか、会社に所属していない人間はクレジットカードさえもてなかったからね。後ろ盾がないからって。海外で現金だけってわけにはいかないから、いろいろカード会社の人間のツテを辿って、ようやく発行してもらったりした。
――70〜80年代では、円のレートも、いまとはぜんぜん違いましたよね?
清水: とにかくイベントが海外でやるわけだから、飛行機代がバカにならなかった。ツアーで南米に行って50万くらいしたかな、その当時で。ヨーロッパに2か月、取材に行ったときは、ユーレイルパスってヨーロッパの鉄道に乗れる共通チケットを勝って、移動の夜行列車でずっと寝泊りしてたり。ドイツに同業の先輩がいたから、風呂を借りに立ち寄ったり。ホームレスの一歩手前くらいの活動をしてたね。
――西山さんはカメラマンでスタートしたわけではない?
西山: 大学卒業して、最初は広告制作の会社に就職して、入社したときの肩書きは「コピーライター」だったんだけど、どうも自分には向いてないなと。で、代理店だから社内に制作部門があって、そこに写真部があった。そしたら、そこの連中は南国の海へ行って、女の子の写真とか撮ってるわけ。で、オレは、そっちがいいなと(笑)。
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