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ヨーコ・ゼッターランド、そのサクセスストーリーに迫る

[写真] ヨーコ・ゼッターランド
バレーボール・アメリカ代表として、バルセロナ、アトランタの2大会連続で本大会に出場したヨーコ・ゼッターランドさん (C)livedoorSPORTS

そのキャリアにオリンピック出場の履歴を刻めるアスリートは、ごくひと握りにすぎない。2大会連続となればさらに至難の業だ。まして、ヨーコ・ゼッターランドのようなプロセスを経て、オリンピックの扉を開いたアスリートは異色といえるだろう。

アメリカのサンフランシスコで生まれ、6歳で日本に帰国。その後、高校・大学と日本バレーボール界で脚光を浴びるが、実業団には進まず、大学卒業後にアメリカへ渡り、代表チーム入り。アメリカ代表メンバーとして、バルセロナ(92年)、アトランタ(96年)と2大会連続で本大会に出場し、バルセロナでは銅メダルを獲得している。

オリンピックでの輝かしい実績もさることながら、彼女の個性を際立たせているのは、やはり“アメリカ”というキーワードだろう。いくつかの重要な選択と、その背景にあった思い。日本で実業団入りをためらった理由と、アメリカに求めたもの。そしてバルセロナ五輪の切符を手にするまでの悪戦苦闘…。前編の今回は、誰も辿ったことのないルートでオリンピックへとたどり着いた、彼女のサクセスストーリーに迫る。

――バレーボールでオリンピックに出場された日本人のなかでも、ヨーコさんは異色の経歴をお持ちですね。そもそも6歳まではアメリカに在住?

「そうですね。母の一時帰国で3歳のときに4か月くらい戻ってきたことはありましたが、その後は6歳になるまでアメリカです」

――高校バレー界で活躍されたあと、早稲田大に入り、その後アメリカへ渡って代表チーム入り。実業団という選択肢もあったと思いますが、そうしなかった理由は?

「当時の女子バレーボール界ではオリンピック出場を目標とし、また将来を嘱望されているような選手は高校を卒業してすぐに実業団に入るのがふつうのことでしたね。大学を卒業して全日本入りしたという経歴の持ち主は数えるほど。代表的なところでいうと、筑波大を卒業されて日立に入社した三屋裕子さん(元全日本代表、現日本バレーボール協会理事)ですとか。私も高校卒業後の進路をどのようにしようかずいぶん迷いました。大学を選択した理由はいくつかありました。大学へ進学したらどうか、と周囲からアドバイスいただいたのがひとつ。また、それが母の希望でもありました。同じころ、早稲田大学人間科学部スポーツ科学科で女子のスポーツ特別選抜枠ができるという話を聞きました。世界一を目指す選手が毎日体育館で練習することも大事ですが、様々な角度からバレーボールを分析、検証し、それをプレーにフィードバックすることも大切になってくるのではないかと思いましたね。また、大学では多様な価値観や目標、知識を持った人たちと接することができます。人間的にも良い刺激となり、それがまたバレーに好影響をもたらしてくれるのではないかと。もっともかなり心の中では揺れましたけどね」

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