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“オリンピックは、お金では買えない聖なる領域”

[写真] 永田克彦
2000年、シドニー五輪では、日本レスリングの連続メダルをつないだ救世主になった永田克彦さん (C)livedoorSPORTS

2000年、シドニー五輪に挑んだ日本選手団は、なかなかメダルに届かず、もどかしい日々を過ごしていた。期待されていたいくつもの競技で空振りに終わり、少しばかり溜飲を下げたのは、田村(現・谷)亮子が初の金メダルを獲得した柔道くらいなものだった。

ところが、柔道が終わるとまたもや沈黙の日々。そんななか、まったく下馬評に挙がっていなかったグレコローマンのレスリング選手が銀メダルを獲得した。あのとき、表彰台の上で、敬礼ポーズとともに晴れやかな笑顔を振りまいた永田克彦は、1952年のヘルシンキ大会から続く、日本レスリングの連続メダルをつないだ救世主になった。

※代表選手確定に関する内容は、インタビュー収録時4月中旬の情報となります

――オリンピックというと、まず何が思い起こされますか?

「五輪にはシドニー、アテネと二度行きましたが、すぐに思い浮かぶのはシドニーの頃です。試合そのものも思い出しますが、それより先に、オリンピックを必死でめざしていたときのことを思い出します。国内選考や五輪出場枠をかけたトライアル大会のときの気持ちが甦ってきます。

今でも、オリンピックへつながっているレスリングの大会を見に行くと、色々なことをが自然と思い起こされます。実際に行ける人と行けなかった人の、天国と地獄ともいえる心境の違いなど、今になって色々と考えることも多いですね。

もちろん、試合でメダルを取ったときのことは強烈な印象として残っています。あわせて、あのときまわりにいた人たちの顔や、何気ない日常的なことが浮かびます。あのときは、こういうところに住んでいたなとか、どんな会話をしていたなとか」

――まるでビデオテープのような思い出し方なんですね。

「オリンピックというのは本当に特別ですね。お金では買えないし、聖なる領域で、永遠に変わることがない。すごいところですよね。いろんな競技の選手が一堂に会しているので、まず規模が全然違います。単純に来て良かったなと思いました。シドニーのときは、もう楽しくて、いい思い出しか思い浮かばないですよ。

でも、オリンピックというと、シドニー、アテネと2回出場したぶん、つらい思い出もあります。1回目は楽しかったにつきるのですが、2回目のアテネは勝てなかったのでつらかったですね。悔しい思い出しかありません」

――メダルを取ったシドニーでは、ヘルシンキ大会から続く連続メダルの伝統を守った存在となりました。

「日本レスリングのメダルの伝統といったことは全然、聞かされていませんでした。のんきに考えていて、誰かがメダルをとって、続けるんだろうなと人ごとのように思っていました。それこそ、自分よりも後の日程だったフリースタイルで誰かがとるだろうと思っていたので気楽だったし、あんまり意識していなかったんですね」

――銀メダリストとして終えたシドニーでは、閉会式での楽しそうな様子を写真や映像で何度も目にしました。13年間無敗だったロシアのカレリンを破って金メダリストになった、アメリカのガードナーを囲んでの写真が印象に残っています。

「閉会式は、いつが始まりでいつが終わりか分からない感じで、そもそも収拾がつかないですよ。知らない間に始まって、入り乱れて流れて、ごちゃごちゃになって解散でした。
レスリング選手ならば、お互いに顔を知っていますから他の国の選手と記念写真を撮ったりしていました。金メダリストになったアメリカのガードナーとも写真を撮りましたよ。日本のマスコミの人から日の丸のハチマキを渡されて、僕らが頼んで、彼につけてもらったんです。ガードナーはカレリンを破って金メダルを取ったから気分がよくて、お願いすれば何でもやってくれましたよ。それで、彼を囲んで撮った写真が新聞に載ったんです」

――ガードナーはその4年後、アテネ五輪で銅メダルを獲得して引退しました。

「彼はあのあと、雪山で遭難して選手生命の危機に見舞われたのに、素晴らしいカムバックでしたね」

――スノーモービルで遊びに出かけたところ、遭難して帰れなくなり、無事に救出はされたものの、足の指を一部、切り落とさなければならなかったといいます。

「足の指がないというのは、結構ハンデになると思うんですよね。たぶん、レスリングもできるかどうかというほどだったと思うのですが、もう一回オリンピックに出てきました。

前年の世界選手権で米国代表に復帰して、そのときは敗退してしまったのですが、アテネでは素晴らしかった。最後の辞め方も格好良かったですね。アテネオリンピックでの3位決定戦に勝って、銅メダルが決まった試合が終わると、マットの真ん中にシューズをおいて、退場していきました。引退してからも、乗っていたセスナが落ちたのに生きてたんですよね。すごい生命力ですね」

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