
![[写真] 中畑清](/img/grazie/200806/photo_nakahata.jpg)
「誰がやっても長嶋茂雄の代わりなど務まらないからね」。そう話してくれた中畑清さん (C)livedoorSPORTS
2004年8月、ギリシャはアテネで行われた第28回夏季五輪。各球団から2名の選出という制限はあったものの全代表選手をプロから招集、監督には長嶋茂雄を起用した、まさに日本球界が誇るドリームチーム、通称“長嶋ジャパン”が完成した。
しかし、周知の通り、“長嶋ジャパン”には五輪本戦を目前に大きな困難が立ちはだかることになる。脳梗塞を患った長嶋監督の出場断念だ。これにより、予選大会こそ、全勝で出場権を勝ち取った日本代表チームの指揮権は、当時ヘッドコーチを務めていた中畑清に託された。
監督不在の異常事態に加え、初のプロ編成チームによる五輪挑戦、国民の期待、そしてなによりも、長嶋茂雄の代役という大きなプレッシャーを一手に背負った中畑の苦悩や苦難は、想像を絶する経験だったという。
あれから4年、いよいよ北京五輪が近づく――。現在は、野球解説者として活躍する中畑に、当時の想い、そして、北京五輪への挑戦を控えた野球日本代表について話を聞いた。
――2004年のアテネ五輪を振り返って、今でも一番印象に残っていることは何ですか?
「実はね、あれほど肩書きというのが大事だとは思わなかった。ポジションを明確にする肩書きは重要なんだなと思ったよね。アテネに出発する前、組織から監督代行とはいえないけれどもむこうで指揮を執ってくれ、といわれたんだけど、オレにとっては監督とか監督代行とかはそんなに大きいものとは思っていなかった」
――それはなぜでしょうか?
「誰がやっても長嶋茂雄の代わりなど務まらないからね。ところが、代行という肩書きがないため、コーチ(大野、高木両コーチ)や選手が戸惑ってしまった。“中畑さんを何と呼べばいいんですかね?”と余計な心配をかけさせてしまった。プレー以外で神経を使わせることがチームにとって一番のマイナスだからね」
――しかし、中畑さんはよく気を使って、チームをうまくまとめたのではないですか?
「自分は、元気で、明るく、楽しくっていうキャラクターでしょ。でも、それが通用しないんですよ。本当に真剣勝負。ダジャレは要らない、笑いをとることも必要ない、それをしたら選手に失礼だみたいな空気が充満してるんですよ。
どちらかというオレは合わないタイプ。だから、怖かったもの、1ヶ月間。緊張すると鳥肌が立つというけど、寝ている時も、四六時中、立っていたよ。逆にゲームに入れば野球に集中して落ち着いたくらい。ひと皮、いや、三皮ぐらい剥けるくらいのひじょうに貴重な体験をしたね」











